カメラレビューでなぜかよく見かける表現たち
昨今、飲食業界において口コミサイトが良くも悪くも切り離せない存在になっているのと同様に、クルマ、スマートフォン、PCといった世の中に出回る製品には「レビュー」ってのがつきものになっていますね。そしてカメラも。特にカメラやレンズというのは、秒間何コマの連写とかF値がいくつとか、明確に数値化できるスペック要素と、その成果物である写真という、評価が極めて感覚に委ねられる存在とが絡み合うものであるだけに、必然的にレビュー界(?)も独特に複雑なことになります。僕自身もカメラの購入、検討に際してはいろいろなレビューサイトやブログ、Youtube動画などを見て参考にしていますし、カメラ好きな人間にとって、別に何か買うつもりじゃなくても面白いレビュー記事や動画は見ているだけで楽しいものです。かく言う当サイトもカメラおよび周辺機材のレビューサイトであるとも言えますし、読むだけでも楽しいものにしていきたいです(願)。
で、本来であればレビュー記事ってのは、それぞれの好みを持った書き手が個々の感性に委ねられるものごとを語るわけですから、そのアウトプットとしての文章表現や用いられるワードは乗算的に多様になるはずなんです。
ところが例えばグルメレビューとかって、わりとこう、パターンというか、どこかで見たような文章が多くなる。けどそれはしょうがない話で、まずもって世に出るレビューの絶対数が圧倒的に多いから「どこでも見たことのないレビュー記事」なんてものは存在し得ないし、ライターさんにしたところで今日はこの店明日はこちらと毎日のように取材して記事を書いてたら、お店について、料理について、語る語彙だって物理的な限りはあるでしょう。
つまり料理であれば「フランス産の真鴨のお肉のソテー」を「愛媛の契約ミカン農家が、その肉にあうよう糖度を調整したミカンで作った直送のオレンジソース」でいただく場合、その「商品情報」をお伝えした以降は食べてみて、基本的にはもう「おいしい」(あるいは「まずい」)しか言いようがないわけじゃないですかレビューとは言っても。あとは頑張って「独自に調合されたオレンジの酸味が鴨肉の甘味を引き立ててます」とか、それで足りなきゃ「目を閉じるとパリの街並みから愛媛のミカン畑へと、風景が脳内グーグルアースです」とか「お皿の上の日仏連盟やぁ」くらいしか私だったら思いつかないです(例とは言えひどい)。つまり調べることを調べて伺うことを伺って、それを記事としてお伝えしたら、食べた感想(そこがレビューの肝になるんですが)自体は表現者のボキャブラリーに頼るところが大きいわけですね。結果「ふくよかな香り」とか「下の上でとろけるような」などの「良く見るワード」がおのずと蓄積してくるのは自明ではあるんです。
そこいくとカメラは少し厄介で「F値が小さいので背景がボケる」という必然は必然として間違いなく存在はするのだけれどそれが写真の良し悪しや好みにどう影響するかの関係は、直結してることもあれば関係なかったりもするわけです(身も蓋もない例として挙げるならば、フォトヨドバシとか見てますと「上手い人は何使ったって上手に撮る」ことを思い知らされるじゃないですか)。例えばまったくの素人がある写真を素晴らしいと絶賛している時、その良さが機材の何によってもたらされているのかを説明するのはカメラレビュワー側からしたら結構難儀な話でしょう。自分がいいと思った小説についての評論を読む時、作家がその小説をどのメーカーのパソコンで書いたかについての情報を我々は求めない。でもいいと思った写真がどんなカメラで撮られたかは知りたいから我々はカメラレビューを読む。なのでレビュアーさんによる作品への感想にしたって「良い(グルメでいうところの「美味しい」)」の表現のワードバリエーションを求めているわけではないから、カメラレビューってのは「王道」なスタイルの見出だしづらい、いい意味でそれぞれ勝手なものになるはずで、おのず、文面に現れる言葉もバラけるはずなのです。
前置きが長くなりました(前置きだったのかよ)。
ということで本来であれば個々オリジナリティーに富んだものになって然るべきカメラレビューなんですが、不思議なことにやはり「よく見かける表現」ってのが現れるんですね。
“開放では周辺にやや甘さがあるものの一段絞れば…”
最近は減った気がしますが少し前まではたいていのレンズのレビューにこれが書いてあったので、もう各社、最初から一段絞って出荷すりゃいいじゃんかとか(違)思ったりしましたね。特に(スマホからステップアップして)カメラに興味を持ち始めた人の多くが「ボカしたい」と思っているはず(少なくとも僕はそうでした)なので開放F値はすごく気にする要素なのに、開放ではあんまり使えない的なニュアンスに思えて、どうしたものだろうかと釈然としない気持ちになったものでした(今では理解できますよ)。
“盛大にフレアが出ますね(笑)”
「多少フレアが見受けられる」ことは滅多になくて、たいがい「盛大に」出るんですねフレアって。末尾の「(笑)」までがパッケージ。このフレアってのも、僕みたいな「写真っぽさ」が好きな人間にとっては、なんだったら狙ってでも出したい、足りなかったらPhotoshopで強調したい、とさえ思える現象なんですよね。いや実際多くのカメラマンにとってそうじゃないかな? なのにこぞって抑えよう抑えようとしてる。それでいてフレアを加えるプラグイン買ったりもしてるというね。どういうことや?
ちなみに冒頭の写真は僕が撮った数年前のニューヨークです。フレアが…盛大、ではないですよねこれだと。
“もうこれ1台でいいんじゃないかと”
本当にその1台で一定期間生きてみたなら先生あなたの言うこと聞いてあげます。もう取っ替え引っ替えしてる人ほどこの言葉使ってる気がします笑
“サブ機にいいんじゃないですかね”
確かに僕のGX7 mark2も、GX8がある以上は「サブ」なのかもしれないですが、旅にいく時はよりコンパクトな機種がいい、という理由でGX7 mark2を旅行カバンに入れた時、その旅においてGX7 mark2は「メイン」じゃないですか。例えばブライダルカメラマンがメインのフルサイズ機のEOS 1D X mark3を使っている時に、もう一台APS-Cの90Dを斜めがけしているような場合に90Dをサブ機と呼ぶのはわかります。でもなんでしょうね、ユーチューバーさんが「これX-T3使ってる人にはサブにいいんじゃない?」みたいな言い方してるのをよくお見かけするのですが、ちょっとなにか違和感ありますね。違和感の正体については長くなりそうなのでこの「サブ機問題(誰も問題にはしとらん)」については改めて書きたいと思っています。
“実質○○円でゲット”
気持ちはすごいわかる。やたら機材買うことに罪深さを感じているレビュアーさんがよく使う表現。でもですね、相殺したつもりでいる下取り価格にしたって、その「元」は以前お金出して買ってるわけですからね… 使用したポイントを貯めるのにそのポイントの何倍ものお金使ってますからね… すくなくとも会計のバランスシートの概念上では下取りとの相殺は「得した」とはならんとです。。。でもめっちゃわかる。
“ひとつの完成形に到達した”
お気に入りだった映画が「あれは序章に過ぎなかった」と次回作の予告編で言われてるのを見たみたいな。mark1からmark2になった時は「前機種とはまったく別物と言っていいほどの進化云々」とか言ってたのにmark3が出たら「mark2の時に感じていた反応の鈍さが完全に解消し」とかね。バージョンごとに進化していくのは当然といえば当然なのだから、完成形とか言っちゃうと次が心配に…
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ということで、まだまだ思いつきそうですけどここまでにしておきます。なんだか「よく見かける表現が多々ある」ということと、前半で述べたレビューというものについての考察に、あんまり深い関係ないような気もしてきてしまった(今さらあなた)。考えてみると、飲食のレビューと同様に、カメラレビューも成熟し、絶対数が増えてきているのだ、という見方もありますよね。だからこそ我々は複数の有益なレビューを見るわけで、自ずと「良くみる表現」というものも現れるようになるのかもです。なんにせよ、楽しいレビューの受信も発信も簡単にできる便利な世の中になったもんだなと思います。と同時に簡単にできるからこそ、発信する時は良質なものを作ることを、受信する時も良質なものを選ぶことを、心がけていきたいなと思います。
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ネットや雑誌でカメラレビューを読んだりYoutubeで撮影テクニックを見たりすることは多いのですが、書籍で「上手な写真の撮り方」的なのを買うことは少ないですね。書籍で買うのは「写真集」が多いです。ブラウザで見るのもいいですけど、印刷品質の高い写真集はパラパラ眺めるだけで楽しい。
記事内で「ライターさん」と書いたご縁で「ライターさん」の写真集ご紹介。私これ2冊持ってます。自宅用とオフィス用に。何度見ても、素敵な映画を見終えた時のような余韻に浸れます。